「舟を編む」(映画版)について

石井裕也監督「舟を編む」(2013)は、少し体調を崩した時に食したい、温かい湯豆腐のような作品である。ちゃんと昆布で出汁を取って作った、柚子胡椒なんかを乗せたら美味な、国内産大豆の絹ごしの湯豆腐。何が言いたいかと言うと、この作品はとても消化によく胃に優しいので、少し疲れた時や元気を無くした時などにオススメの映画だということである。

作家三浦しをんによる原作の同名小説は、2012年本屋大賞受賞しており、アニメ化もされているほどの人気ぶりである。「辞書の編纂」という地味な職業に光が当てられたことで、辞書マニアというニッチなコミュニティも盛り上がり、さぞ辞書の売り上げも伸びたことだろう。その数年前には、赤瀬川原平著「新解さんの謎」(1996)という三省堂発行の「新明解国語辞典」(語釈が面白く、一言多いのが特徴)を擬人化したノンフィクションが流行し、読売新聞の天声人語でも取り上げられ、実は私の母親も影響されて購入した口であるのだが、しかし著者はそんな流行に乗ったわけではなく、子供の頃から辞書を読むのが好きだったらしく、今でも紙ベースの辞書を引いているという。私はもっぱら広辞苑の信者であったが、最近では横着してグーグルで適当に調べてしまう。この作品の中では「大渡海」という中型辞典をゼロから製作するプロジェクトを軸に、それに関わる人々の成長と温かなふれあいを描いている。(ちなみに「広辞苑」や「大辞林」は中型国語辞書として分類され、全13巻からなる小学館の「日本国語大辞典」が日本で唯一の大型辞書だそうである。)

冒頭で、辞書監修の老国語学者役の加藤剛が「大渡海」という辞書の意義をこう語る。「言葉の海、それは果てしなく広い。辞書とはその大海に浮かぶ一艘の舟。人は辞書という舟で海を渡り、自分の気持ちを的確に表す言葉を探す。それは唯一の言葉を見つける奇跡。誰かと繋がりたくて、広大な海を渡ろうとする人たちに捧げる辞書、それが『大渡海』です」と。そのロマンあふれる言葉に、主人公の松田龍平も、観客も「辞書」という、それまで気にも留めなかった世界に一気に興味を抱き始める。そして改めて、人が言葉を使うのは、人と繋がりたいという願望から来るもので、自分の気持ちをうまく表現できる言葉を見つけることは、そうか、奇跡だったのか、と感動するのである。

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時代設定は1995年。大学院で言語学を勉強していたという主人公の松田龍平は、積み上げられた本の中で生活するひどく内向的な男で、出版社に勤めるも苦手な営業部に配属されている(明らかにコミュ障の彼を営業部に回すのは、人事側の不手際だと思うが)。しかし、辞書編集部の敏腕編集者(小林薫)が定年退職を目前に自分の後任候補を探していたところ、言語学のバックグラウンドと「右」の定義を言えたことで見初められ、龍平が引き抜かれる。

監修の加藤剛、編集の小林薫、先輩のオダギリジョー、契約社員の伊佐山ひろ子と共に、龍平は水を得た魚のように生き生きと、辞書作りの世界に入っていく。三省堂の大辞林は完成まで28年かかったという話や、気の遠くなるような地道な作業、明るくチャラいオダギリとの関係構築に、龍平は自信を失いかけるが、下宿のおばあさんに励まされながら、積極的にオダギリとも言葉を交わす努力を始める。辞書作りの作業が少しずつ確実に進むように、龍平も少しずつ確実に成長していく。

下宿のおばあさんが高齢のため、孫の宮崎あおいが同居を始めると、龍平は出会ったその日に恋に落ちる。会社でも仕事が手につかず、皆にからかわれながらも温かく見守られ、また下宿のおばあさんの粋な計らいにより、少しずつ宮崎あおいと距離を縮めていく龍平。そしてラブレターを書く決心をする。

そんな時、社内で「大渡海」の企画が中止になるかも知れないという噂が広がり始める。オダギリジョーは持ち前の要領の良さを発揮し、外注して既成事実を作り、会社側が中止にできない状況に持っていこうと画策する。そしてそれは功を奏し、企画は続行されたが、会社側としても利益も出ない辞書編集部から人員を削減しなければならず、オダギリジョーは宣伝部へ転属となってしまうのだった。

龍平が草書体で書いた恋文は、宮崎あおいに読めるはずもなく、仕方なく上司に読んでもらった彼女は恥ずかしかったと怒っていたが、結局龍平の愛を受け入れる。

そして12年後、龍平と宮崎あおいは結婚して一緒に暮らしている(下宿のおばあさんは故人となり、仏壇に遺影が飾られている)。職場では主任となった龍平。ファッション雑誌の編集部から転属となった、ちょっと態度の悪い新人の黒木華を迎え、また小林薫も嘱託として働くこととなり、新しいチームとなる。辞書にふさわしい用紙の開発に尽力する製紙会社社員の宇野祥平、販売促進キャンペーンや予約申し込みなどを企画する宣伝部のオダギリジョー、装丁のデザインに心を砕くピース又吉、校正作業のために雇われた学生アルバイトたちなど、様々な人々の手に支えられ、完成に近づいていく「大渡海」。そんな中、監修の加藤剛がガンで息を引き取ってしまい、完成が一歩間に合わなかったと肩を落とす龍平。その後、「大渡海」の出版を披露する祝賀パーティで、小林薫に見せられた加藤剛からの手紙には、龍平への感謝の言葉が綴られていた。翌日からは改定作業に入る、と意気込む二人。ラストは、加藤剛の墓前に報告した龍平と宮崎あおいは、加藤が愛した海を眺めながら寄り添っている。

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特に映像が美しいというわけでもなく、ドラマチックな事件が発生するわけでもない。松田龍平が優しい人々に恵まれて、人間として、男として、辞書職人として成長していく様子を、ただ淡々と穏やかに描いている。映像美でいうと、龍平と宮崎あおいの出会いのシーンで大きな満月をバックに「名前はかぐや」というシーンはベタでありつつも唯一美しかった。また、龍平が住んで入る木造の下宿もレトロな雰囲気がよく、また図書館のように蔵書の多い龍平の部屋も、本好きならばちょっと心ときめくシーンである。

また、起伏がなさすぎて退屈だ、という評価もあるようだが、これはちょっと疲れた大人がしみじみと感じ入るタイプの映画である。適材適所で才能を開花させていく主人公は、仕事に真摯に取り組む人々との交流を通し、改めて言葉と向き合うことで苦手だった人付き合いが少しずつ上手くなっていく。「大渡海」が花開いていくのと同時進行で龍平の人生も花開いていく印象で、とても清々しい終わり方である。

配役も素晴らしい。加藤剛や小林薫の主張しずぎない存在感はこの作品に重みを加えていたし、伊佐山ひろ子のベテラン契約社員の存在もピリリと緊張感を与えつつ優しい。松田龍平の不器用でぎこちない男の演技は素晴らしく、何度もクスッと笑ってしまう場面があった。オダギリジョーもチャラいけれど、わりと純粋で熱いハートの持ち主という役柄がぴったりであった。また、ちょっとしか出ていないが、宇野祥平が製紙会社の営業マンとして出ていて嬉しかった。この人はリアル「俳優・亀岡拓次」(安田顕主演・2016)ではないだろうか。色んな映画で拝見する名脇役、密かに応援してしまう。

「映画館で観る価値はない」というレビューをちらほら見かけるが、確かに私の価値観でもギリギリのラインかも知れない。邦画の中には、文壇の中のライトノベルのように、少女漫画などを人気の俳優を使って実写化する、「ライトフィルム」と呼ぶにふさわしいお手軽な恋愛娯楽モノというジャンルがある。わざわざ映画館で上映しなくとも、テレビの二時間枠で放送すればいいのでは、と思うくらいのスケールの、疑似恋愛体験を提供するだけのような、その御安い感じが私はとても苦手である。そういった邦画がチーズバーガーだとしたら、この作品はやはり湯豆腐のような作品である。言うならば、老舗料亭で頂く逸品、一見素朴だが丹精込もった出汁の沁みる、肌理濃やかな湯豆腐なのである。

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