「雨月物語」について

西洋において、吸血鬼、狼男、幽霊、妖精、天使、悪魔、魔女などをテーマにした神秘文学(オカルト)が存在するように、日本においては鬼、天狗、河童、神隠し、怨霊、ひとだま、雪女・座敷わらし・化け猫・のっぺらぼう・ろくろ首などの妖怪また狐や狸に化かされるという、日本固有の超自然的現象を題材にした怪奇文学(怪談)がある。

そんな日本で指折りの怪談・怪奇文学作家といえば、江戸時代の上田秋成、明治時代の泉鏡花、小泉八雲、昭和初期の内田百間、それから後にエログロナンセンスという新しい支流を作り出した夢野久作や江戸川乱歩が思い浮かぶが、その元祖とも言える上田秋成が書いた「雨月物語」は9編の掌篇からなるオムニバス短編集である。そのうちの2編(「浅茅が宿」・「蛇性の婬」)を脚色して映画化したものが、この溝口健二監督「雨月物語」(1953)である。

本作は、小津安二郎監督「東京物語」(1953)、黒澤明監督「七人の侍」(1954)とともに、海外において最も知名度の高い邦画として認識されており、日本人として必ず見ておきたい一本である。

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ストーリーは、琵琶湖近くの貧しい農村に暮らす兄弟(森雅之・小沢栄太郎)とその妻たち(田中絹代・水戸光子)が、戦乱の世と欲望の業に翻弄されながら生きる姿を描く。農業の傍ら焼物を作っている森と、侍の家来衆に加わりたいと考えている小沢の兄弟は、どうにか貧しい生活から抜け出したいと考えていた。

ある日、城下町にて自作の焼物を売って小金を稼いだ森は、妻(田中絹代)と息子に新しい着物を買って帰る。絹代は喜ぶが「小袖が嬉しいのではなく、あなたの心が嬉しいのです。あなたさえいれば何も欲しくない」と慎ましい。しかし、商いによる金儲けの味をしめた森は、もっともっと金が欲しいと貪欲になっていく。

森と小沢は協力して沢山の焼物を生産し、もっともっと売って金儲けしようと夢中になる。そして焼きあがった品物を、湖の対岸にある城下町まで売りに出ることにする。森、小沢、光子は、絹代と子供を村に残して、船で琵琶湖をわたるのだった。

城下町の市場にて、森たちの焼物は飛ぶように売れて行く。そこに美しい姫(京マチ子)と老女が現れ、焼物を大量に買い付けて、家まで届けてくれと依頼する。案内されるまま朽木家の屋敷にたどり着き、勧められるまま部屋の奥へと足を踏み入れる森。雑草の生い茂る玄関はボロボロだが、奥に行けば行くほど立派な屋敷となっていく。そこにきらびやかな着物をまとった京マチ子が迎える。男心をくすぐられ、あっという間に骨抜きにされてしまった森は、もうマチ子の誘惑に抵抗する気力など皆無である。まるで竜宮城での浦島太郎のように、快楽に時を忘れ、森はどんどんマチ子の魅力にのめり込んで行く。

一方小沢は、稼いだ金銭で侍に必要な具足や槍を買い、自分を探し歩く光子をよそに「今度会う時は立派な侍になっている!」と意気込むのだった。さびれた城下のはずれまで小沢を探しに出ていた光子は、そこで数人の侍たちに手篭めにされてしまう。その一方で、村では再び残党が食べ物をあさりに農家を襲っていた。絹代は子供を背負って山へ逃げるものの、道中で落ち武者たちに腹を刺されて死んでしまうのだった。

小沢は偶然手に入れた敵方の大将の首を自分の手柄として報告し、一気に出世する。馬に乗り家来を引き連れて偉そうに道を行く小沢は、道すがら一軒の女郎屋で酒の席を設けることにする。そこでバッタリ出会うのが、なんと女郎に身を落とした光子であった。「出世は、お前がいればこそ。立身すれば、お前が褒めてくれると思った」と猛省する小沢に、光子は「何度も死のうと思ったが、(小沢に)もう一度会うまで死に切れなかった」と言って泣くのであった。

マチ子へ贈る着物を買うために町へ出た森は、通りすがりの僧侶に「死相が出ている」と呼び止められ、死霊を祓うためのお経を体中に書いてもらう。森が半信半疑のまま屋敷へ戻ると「もう外へ出てはなりません。帰しませぬ」と軟禁宣告されてしまう。老女(乳母)は、マチ子が恋も知らずに命を落としたことを不憫に思い、「ただの一度だけでも女の幸せを知って欲しくて、こうして(霊となって)彷徨い出て来た」と白状するのであった。森は妻子がいることを告白し、「なぜこんな過ちをおかしたのかわからない。帰らせてくれ」と泣きわめき、僧侶に書いてもらったお経のおかげで命拾いするのだった。そして、現実には朽木屋敷はとうに燃えてなくなり、自分はその跡地に佇んでいただけだと我に返るのである。

村へ帰った森は絹代を探すが、家の中には誰もいない。家のまわりをぐるっと回ってもう一度家の中へ入ると、囲炉裏には火が炊かれ、絹代が夕飯を作っていた(ここまでワンカット)。「目が覚めた。お前の言う通り、俺の心は歪んでしまっていた」と、酒を飲む森はいつしか眠りについてしまう。翌朝起きると絹代はおらず、村人たちから絹代はもう殺されてしまったことを聞かされるのである。(子供は村長が引き取って面倒を見ていた)。そこに小沢と光子も村へ戻って来て、以前と同じ生活を始めるのだった。

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個人的にこの映画は怪談というより(自損事故的に)傷ついた男たちを、包み込む女の凄さを描いたラブストーリーという印象である森雅之を虜にしてしまう妖艶な京マチ子の死霊としての存在には「怪奇現象の怖さ」より、圧倒的に「女の怖さ」の方が勝っており、もののけだろうと生身の女だろうと、その怖さはあまり変わらないのではないかと私は思う。京マチ子が森を口説く場面では、まずは美貌と色気で悩殺し、言葉巧みに男心をくすぐり骨抜きにし、やすやすと身も心も奪ってしまうくだりはあまりにも恐ろしい。女の仕掛けた罠にはまることは、男性にとっては、もう不可抗力の領域かもしれない。そういった女の魔力自体が人智を超えた怪奇現象のようである。あるいはまさか上田秋成はそれが言いたかったのか。

冒頭、「大きな望みを持たずに出世ができるか。望みは大海の如し」という夫婦喧嘩の場面があるが、立身出世も金儲けも、妻を幸せにしたいから、妻に褒めてほしいから、という妻ありきの願いであるのに、そんな一番大事な妻をおろそかにして、目先の欲望に溺れていく男たち。村長はそんな二人をたしなめて、「身分不相応な欲を起こすな。どさくさに紛れて儲けた金など身につくものではない。それより戦に備えて支度しろ」というのだが、その伏線を完全に回収する形で、まったく村長の言う通りでした、というラストシーンを迎える。そして、そんな男たちの過ちを許し、母のように包み込んでくれる妻という存在。おそらく、この図式は太古の昔から不変であり、人間はそうやって少しずつ成長しながら生きて、ようやく賢くなってきた頃には死んでいくものなのだろう、としか言いようがない。

中盤、小舟が深い霧に包まれてゆらゆらと進んでいく、モノクロームの濃淡が美しい、水墨画のような幻想的なシーンがある。森雅之と小沢栄太郎は商売の場を「長浜城」城下町から「大溝城」城下町へ移すため、琵琶湖の東の湖畔から西の湖畔まで約25kmほどの距離を渡るのである。

湖や川を渡るという行為は、ある境界線を越えたり、異次元の別世界へ足を踏み入れることのメタファーでとして使われることがある。湖の対岸へたどり着いた三人はそれぞれ、あっという間に別人のように様変わりし、それまでとは全く違う人生を垣間見ることになるのだ。

しかし最後は三人とも元の場所へ戻り、元の生活を喜んで受け入れる。向こう岸へ渡らなかった田中絹代だけが命を落としたというのは、あまりに皮肉である。いかに農民や商人たちの生活が、戦乱によって翻弄されていたかを思い做すと哀れでならない。

ちなみに時代設定は「戦国時代・早春」ということ以外の説明はないのだが、近江国(滋賀県)の農村に柴田勝家の軍勢が押し寄せてくるという点、朽木一族が織田信長に滅ぼされたという点(実在の士族。実際には滅びていないようだ)、長浜の城下町が賑わっていた(楽市楽座)という点、丹羽長秀が大溝城の城主であった(調べてみたら、長秀の居城は1年間だけ)点などを踏まえて、1583年4月、ちょうど賤ヶ岳の戦いの頃だと推定できると思う。

最後に、溝口健二監督は日本映画の黎明期(サイレント)から黄金期にかけて活躍した、日本映画界を代表する巨匠の一人である。最も頻繁にタッグを組んだ女優田中絹代とは公私にわたる付き合いがあり、溝口は密かに田中との結婚を望んでいたらしいのだが、新藤兼人監督によるドキュメンタリー「ある映画監督の生涯・溝口健二の記録」(1975)の中では、田中本絹代本人が溝口について「映画を離れれば冗談も言わず、少しも面白くない人だった」とけんもほろろに否定しているので、溝口の片想いだったと考えられる。

また、完璧主義者ゆえの役者いびり・スタッフ泣かせの暴君だったとも言われている。「ワン・シーン=ワン・ショット」と呼ばれる長回し(絵巻物のように流れるような映像)の撮影手法や、構図・セット・小道具・時代考証まで演出にこだわりぬき、様々な時代の日本人女性像をリアリズムたっぷりに描いた。そして「西鶴一代女」(1952)、「雨月物語」(1953)、「山椒大夫」(1954)と、ヴェネチア映画祭において三年連続で国際賞受賞という前人未到の偉業を達成する。その影響か、特にヨーロッパでは小津、黒澤を凌ぐ人気を誇り、「気狂いピエロ」(1965)の仏人映画監督ゴダールは溝口に傾倒するあまり、「好きな映画監督を三人あげて下さい」と問われ「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ!」と答えたという逸話もあるほどだ。また、米タイム誌が選ぶ「世界名作映画オールタイムベスト100」にも選出されている「雨月物語」、日本人として見ておく価値のある作品ではないだろうか。

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