ATG作品について

日本アート・シアター・ギルド(ATG)といえば、言わずもがな国産・外国産を問わず、アート系映画を日本に普及させた、アンビシャスで新進的な組織である。ATGの結成、その経緯、その活動は、日本人の新しい映像美や芸術に対する、情熱と理想を実証するムーヴメントそのものであったことと思う。

テレビの普及とともに映画界の斜陽化は急速に進み、焦った大手映画会社は、商業的成功の見込める最大公約数的な商品(大衆受けを狙った娯楽映画など)の製作に専心するようになっていった。大企業のビジネスモデルとしては仕方がない流れだと思うのだが、しかし時代の潮流はもっと複雑で流動的でダイナミックに波打っていた。

60年代と言えば、日本での安保闘争などの学生運動を筆頭に、アメリカのベトナム反戦運動・黒人公民権運動・女性解放運動、旧チェコスロヴァキアの「プラハの春」、中国の文化大革命に対する「造反有理」、フランスの「五月革命」など、世界中で民衆の反体制運動が加熱した激動の時代であった。

そんな時勢を背景として、日本の若者の関心を集めたのはポピュリズム的な娯楽映画ではなく、フランスのヌーヴェル・ヴァーグやアメリカン・ニュー・シネマ、既存のルールを破ろうとする、カウンター・カルチャー的な芸術映画や自主制作映画などであり、それらに影響を受けた日本の新進気鋭の映像作家たちも新しい方法論を模索していた。

そういった国内外のインディーズ系、ミニ・シアター系芸術映画を、専門的に上映する特別な映画館を作ろうと、ATGが設立された。コクトー、フェリーニ、ゴダール、レネ、トリュフォー、ベルイマン、ポランスキー、タルコフスキーなど、今や巨匠と呼ばれる監督たちの作品を次々と日本で興行した。

また、大島渚や吉田喜重のように、芸術映画を撮るために大手映画会社を退社し、独立プロを立ち上げる映画監督たちが次々と現れると、ATGは次第に製作にも参加するようになる。独立プロと、製作予算を500万ずつ折半して、1000万円の低予算で映画を作成させるという方法論を編み出したのだ。しかし、いくら制作側のモチベーションが高くとも、帰するところは「非商業的芸術作品」であるため、実際に興行的には失敗する作品も続出。次第に加盟映画館数が減っていく中、ATGの経営は徐々に傾き、1992年にその活動には終止符を打つこととなった。

さて、ATG作品と言えば何と言っても、まず題名がポエティックで凝っている。例えば、松本俊夫監督「薔薇の葬列」(1969)、今村昌平監督「人間蒸発」(1967)、吉田喜重監督「エロス+虐殺」(1966)、田原総一郎監督「あらかじめ失われた恋人たちよ」(1971)、吉田憲二監督「鴎よ、きらめく海を見たか」(1975)、東陽一監督「もう頬杖はつかない」(1979)、岡本喜八監督「最近なぜかチャールストン」(1981)、長崎俊一監督「九月の冗談クラブバンド」(1981)、金秀吉監督「君は裸足の神を見たか」(1986)、大森一樹監督「風の歌を聴け」(1981)などなど。本やCDやレコードなどで言えば、いわゆる「ジャケ買い」したくなるような、美しく退廃的なタイトルたちである。

ここまで書けば、もう後はぶっちぎりで褒めちぎりたいのだが、しかし、そういった尖った時代のインディーズ映画たちであるから、それはもう解釈の難しい自由でワイルド、アヴァンギャルドでクレイジーな映像世界なのである。これら実験的かつ急進的、アングラやサブカル、反主流文化のカッティング・エッジ的象徴であるこの変態的な作品群を、私はいくら愛したくとも愛せず、鑑賞するたび、どうしてもぐったりと疲労困憊する有様である。端的に言うと、ATG作品が全く好きではないのである。苦痛や不愉快を昇華する手立ての無さが原因なのではなく、前衛的、実験的、難解、孤高な芸術論と、観客を完全に置いてけぼりにする独善、突き放すような偏執、排他的なナルシシズムは、相入れるものでは無いなぁ、と痛感させられるのである。そういった作品群の評価は興行成績に如実に反映されており、結果的にATGは衰退していく。

私が一連のATG作品の中で唯一好きなのは、鈴木清順監督の「ツィゴイネルワイゼン」(1980)、寺山修司監督「田園に死す」(1974)、新藤兼人監督「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」(1975)、伊丹十三監督「お葬式」(1984)、勅使河原宏監督の「おとし穴」(1962)、松本俊夫監督「薔薇の葬列」(1969)、吉田喜重監督「告白的女優論」(1971)、大島渚「絞死刑」(1968)の八本のみである。他のATG作品の前衛度数が100%であるとしたら、これら八作品においては5%〜20%に抑えられていると言えるだろう。これらは、非商業的であることを、商業的娯楽のアンチテーゼとしてではなく、純粋な映像芸術への回帰として捉え、観客に媚びず、また観客を突き放すこともしない、孤高の芸術としての成功例たちと言えるかも知れない。

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