太陽族映画について

その狭義では1956年の半年間に封切られた六本の問題作を意味するらしいのだが、その最盛期とは、いずれも石原慎太郎氏原作の映画「太陽の季節」(1956)、「処刑の部屋」(1956)、「狂った果実」(1956)の三本を指すのだという。

同年、「太陽族映画上映反対運動」が起こり、映倫は全面的に組織編成の改変を余儀なくされたようだが、不思議なことに、その後もモラルに欠けた若者たちを描いた、似たような作品が次々と発表されている。「太陽とバラ」(1956)、「黒い河」(1957)、「青春残酷物語」(1960)、「太陽の墓場」(1960)、「すべてが狂ってる」(1960)、「狂熱の季節」(1960)、「ろくでなし」(1960)、「黒い太陽」(1964)など、そのどれもが野放図な不良たちの虚無的葛藤に基づいた悪行と放縦ぶりをテーマとしているが、どれもこれも後味の悪いものばかりである。

私は倫理観を振りかざすタイプでは決してないのだが、こういった太陽族関連の一連の作品がとにかく苦手だ。そもそも、反抗期のティーネイジャーという人種は私にとって鬼門だ。子供でもなく大人でもない中途半端な彼らは、孵化する虫の苦しみのごとく、悲劇的でさえある。と、私は思うからである。

親や社会に反抗を示すことは、大人へと成熟していく過程において、自己を確立するために健全な成長プロセスの一つである。それはすなわち、まだ自分が何者か分からずに暗中模索する苛立ち、不安、焦燥、孤独そのものだろう。しかし、そんな迷える若者たちの鬱屈は、行き場のないエネルギーとして傍若無人に発散される。その現象に焦点を当てた太陽族映画は、まさにパニック・ホラーの要素を多分に孕んでいる。

例えば、70年代の若者がフーテンやヒッピー文化にかぶれたように、80年代の不良生徒たちが校内暴力をふるったように、90年代の女子高生たちが援助交際をしたように、2000年代の非行少年たちがカラーギャングとして跋扈したように、60年代の若者たちは太陽族のごとく不道徳な振舞いに嵩じたというのだろうか。いつの時代も少年少女たちは大人には理解できないことをするのかも知れない。つくづくティーネイジャーの憂いを苦々しく思う。

海外においては「太陽族映画」としての括りではなく、名の知れた木下恵介監督、小林正樹監督、大島渚監督、鈴木清順監督、吉田喜重監督らの作品として「太陽とバラ」(1956)、「黒い河」(1957)、「青春残酷物語」(1960)、「太陽の墓場」(1960)、「すべてが狂ってる」(1960)「ろくでなし」(1960)などは入手可能である。

余談だが、太陽族の象徴であり、当時国内にて人気を博した石原裕次郎は、海外においてはほとんど無名と言える。日本ではキュートだと認識される八重歯も海外では忌み嫌われるため、彼の歯並びの悪さが仇となったかも知れないというのは、あくまで個人的な見解だが。

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