「煉獄エロイカ」(1969)は、吉田喜重監督の「日本近代批判三部作」の中で最も実験的で難解で、且つ映像の美しい作品である。「エロス+虐殺」(1968)と「戒厳令」(1973)が、実話にインスパイアされたセミフィクションであったのに対し、「煉獄エロイカ」は、詩人で脚本家の山田正弘氏と喜重監督が共同執筆した、完全オリジナル作品である。同じく山田氏が参加した「さらば夏の光」の脚本と比べると、アングラ演劇っぽさは幾分トーン・ダウンしているが、現代詩のような小難しい台詞は健在で、白黒映像の無機質さ、幾何学的な構図、一柳慧の心をかき乱すような不穏な音楽、時間軸を超越したシュルレアリスム的なストーリー展開と、驚くべき親和性を発揮している。「エロス+虐殺」を超えるレベルの、緻密で精細な計算のもとに撮影されているのが、素人目にも分かるほどの完成度である。森英恵の衣装、岡田茉莉子のヘアメイクも素晴らしい。これほど不可思議で完全無欠な作品は、もう二度と出て来ないのではないか、と思わせる一本である。
すべてのカットがそのまま宣伝用のポスターになりそうな秀逸さである。
しかし、ストーリーの難易度については、喜重作品の中でダントツトップなのではないだろうか。色々な解釈が出来るであろう作品だが、あまりの突飛な演出の怒涛に、多くのレビュアーが匙を投げてしまうようだ。非商業的フィルムの中でもさらに非商業的な難解さであり、ATGの観客動員数ランキングでもワースト3に入っているという。(ちなみにワースト1は田原総一郎の「あらかじめ失われた恋人たちよ」(1971)であるらしく、確かにこの作品では私も途中で思考停止に陥った記憶がある。)
一般レビュアーの中には「理解しようとせず、雰囲気を愉しむ作品」という評価もちらほら見かけたが、これほど綿密に作り込まれた作品に全く意味がないというのも、にわかには信じ難い。どこかで喜重監督自身がこの作品を「道化芝居的」と表現なさった一文を見かけたことがあるが、本当にこの不思議極まりないストーリーは、ただの「道化芝居」の一言に収斂してしまうものなのか。
まず「煉獄」という聞きなれない言葉だが、これはカトリックの教義において、「永遠の地獄へ行くと定められてはいないが、すぐには天国へ行ける訳ではない、つまり小罪を犯した死者の霊が、残された償いを果たして浄化されるための苦しみの場」、つまりプチ地獄である。似た言葉で「辺獄」というものがあり、これは英語では “limbo” というが、 “limbo” は「宙ぶらりん、どっちつかず」という意味合いにおいて、日常会話で使われる言葉だ。喜重監督によると、本作ではテロリストの無益かつ虚しい革命のことを意味するようだが、私は、主人公夫婦にとっての煉獄とも言えるのではないかと考える。現在と過去と未来、真実と嘘、記憶と忘却が錯綜した、どっちつかずの世界に陥ってしまった夫妻として。「エロイカ」はイタリア語で英雄を意味するらしいが、これについては、テロリストのみではなく、登場人物全員が英雄であったと言えるのではないか。
本作が制作されたのは1969年、全共闘・全学連の学園紛争、安保闘争、羽田闘争、成田闘争、ベトナム戦争反対運動など、学生運動や新左翼の政治闘争が最も盛んだった時期である。それまでも度々、党派内部での暴力沙汰は報じられていたようだが、1972年の連合赤軍の「あさま山荘事件」のホラー映画のような実態が報道されて以来、若者たちの熱は急速に褪めていったように思われる。(高度経済成長の波に乗ろうとする時期であり、社会が豊かになってきたことも背景にあるかも知れないが。)敵対する右翼ではなく、あくまでも左翼同士の抗争であるが、思想や方法論の小さなズレが、凶暴な殺意を生むのは近親憎悪というものか。しかし本作は、この事件発生よりもずっと以前に、感情論による多数決評決の不合理、スパイという名の冤罪、総括という名のリンチを批判し、警鐘を鳴らしていたことになる。すごい先見の明である。
ちなみに本作で、サングラスをかけた1970年ゲリラを演じている牧田吉明氏は、実際の新左翼活動家であり、ピース缶爆弾事件にも関わったテロリストであったという。財閥系の末っ子御曹司だが、フーテン生活、ライブハウス経営、広告会社社長、民宿経営、自然食販売、葡萄農家、養鶏業、居酒屋経営、大本教入信、丸太小屋で自炊生活、ホテルの庭仕事など、亡くなるまで様々なことをやらかした人のようだ。
「日本近代批判三部作」ということで、前述した通り、映画制作当時(60年代後半)に盛んだった学生運動、新左翼による政治闘争・革命運動に対する非難、戦後民主主義(多数決)に対する誹議、彼らの内部ゲバルトに対する暴露、本質を伝えないマスコミへの問責、近代社会における道徳の欠如(アユの母親に関する述懐など)に対する警鐘、などを描いているのは間違いないだろう。しかし、その描写方法がとてつもなく不可解且つ晦渋で、1952年・1970年・1980年へと、主人公らが時間軸を超えるだけではなく、その時代の登場人物たちまでが別の時代へと入り乱れ、テロリスト役を演じたりマスコミ役を演じたりする(後述)のだが、まったくもって説明が皆無なので、観客は完全に混乱状態に陥るのである。しかし、無理やりに整合性をつけて解釈した場合、私の仮説としては、これは結婚10年目にして子どものいない夫婦が直面した、ある種のエグジステンシャル・クライシスではないかと考える。子どもを欲しがっている夫(子どもの夢を見る)と、それを知りつつ、幼少期のトラウマのために子どもを産みたくない妻。また、米国大使の研究所への訪問を控え、抹消したはずの記憶が蘇ってくる夫。キーワードは、「子ども(=妻の過去のトラウマ)」と「大使(=夫のテロルの過去)」である。
1970年のある日、二人がそれぞれ抱えていた「他人に言えない過去」が、表面化するタイミングが奇しくも重なってしまい、もしくは一方の表面化がもう一方の表面化を連鎖的に招いてしまい、二人はそれぞれの過去を追体験しながら、お互いの原体験をなぞっていく、という仕掛けになっているのではないだろうか。というより、妻のトラウマに関しては夫は関与することはないので、妻が自分の記憶をたどりながら、夫の隠された過去と未来の展望を省察していく、という言い方が正しいだろう。記憶の中にいる人々を巻き込みながら、当時は気づかなかった真実、自己批判、組織批判、密かに抱いている希望(叙勲)までを体験していくのである。あくまでも、二人の心象風景、二人の煉獄なのだ。
二人の抱える秘密を、次のように仮定する。
学生の頃、庄田は非合法活動に参加する中で、実はスパイとして警察当局とつながっており、仲間を裏切っていた。スパイ容疑が持ち上がると、同志「セイ」と謎の人物「アトウハクジ(=庄田)」にその罪を擦りつけた。仲間には二人が逃亡したと思わせておきながら、実際は庄田自身がセイを殺害していた、と思われる(ラスト、狭いまっすぐな通路でセイは射殺され、庄田は光の中へ去っていくことから)。
カナコは13歳の頃までに何らかのトラウマを抱え、同じくその秘密を忘却のかなたへと仕舞い込んでいた。アユの拒食症・栄養失調のような体つき、また「パパを殺そう」、「豚のように棒で打つの」などのサディスティックな発想・言動は、ネグレクトあるいは虐待に近い環境で育ったことを表現しているのではないか(アユの母親と男たちの述懐から)。終盤、1980年に叙勲を祝したインタビューで、「子どもの頃の夢」を聞かれたカナコは、ただ黙って首を振っているが、夢などを持てる幼少期ではなかった可能性もある。そんな悲惨な環境から、カナコが13歳の時に、将来工学博士との縁談を持ってこられるような、まともな親戚先(「おばさん」)へ引き取られた(「誘拐された」)のだと仮定する。
これらの秘密は、二人が向き合うためにはいずれ暴露しなければならない過去であり、完全に抹消することはできないものであるとする。
庄田は、レーザー光線応用技術の開発で多くの学会賞を受賞している、優秀な電子工学エンジニアである。彼の研究所へは近々、駐日米国大使が視察訪問する予定となっている。そんなある日、彼は沈みかけの船の上で、溺れている自分の息子を助けるという、奇妙な夢を見る。子供達の顔がいくつも現れては消え、夢の中では、それが自分の子供達であることを自然と受け入れている。「あの夢は何の予兆なのか、良い知らせなのか、悪い知らせなのか」と庄田は呟くが、これはその後のアユとアユの父親(セイに似た男)の出現と、記憶の追体験を示唆するものだと考える。(その時、大使を狙うテロリストの一人、キヨコが庄田との接触を図ろうと、研究所の敷地内に侵入するが、セキュリティに追い出されるのを、庄田は窓から眼下に眺めている。)
妻のカナコ(岡田茉莉子)は不自由のない生活ながらも、倦んだ日々を送っている。夫が子どもを欲しがっていること、また、自分が子どもを産める年齢制限に近づいていることにも気づいている。そのことについての会話を、二人は避けている。ある日、デパートの駐車場を歩いていると、ふいにシャッターがガラガラと上がり、カナコはまばゆい光の中に包まれる。その時、彼女の過去への封印が解かれたと仮定する。そして、13歳のカナコ自身を別人格の「アユ」という想像の産物として産み落とす(アユは螺旋状のスロープから、地下へ落下)。「ママは私を産んだけれど、私を産んだことに気づかなかったの」とアユは言うが、カナコはアユが運ばれた病室へ現れる。カナコは「母親ですか」と聞かれても頭を振るが、しかしこの少女を家へ連れて帰ることにする。果たしてアユは、カナコのインナーチャイルドか、アルターエゴか。
自宅では夫が、なぜ見知らぬ子どもを連れ帰ったのか、と妻を問いただすが、諦めたように「僕たちは本当のところを話し合おう」と言う。これは「なぜ他所の家の子どもを連れ帰ったか」という目先の問題ではなく、ずっと避けてきた本質的な問題について話そう、という意味に取れるが、その「問題」とは、子どもについてではないか。無表情で無気力な妻のとりとめのない言葉(「眉を剃って、仏様みたいな細い眉を描こうかしら」など)からも、彼女の日常が充実したものではないことは伝わってくる。(しかし、アユが出現したこの日を境に、カナコは別人のように表情も明るくハツラツとしてくる。)
そこに、「アユの父親」を名乗る男性が現れる。男がサングラスを取ると、その面影は庄田のかつての同志、セイにそっくりであった。この「セイにそっくりな男」は、庄田の想像の産物であると仮定する。妻の想像の産物(アユ)と連動して、波及的に夫の想像の産物(アユの父親)が生まれたのではないかと考える。アユは父親を拒絶し、庄田とカナコ夫妻をパパ、ママと呼び始める。
庄田はアユを自宅へ送り届けようとするが、アユは水先案内人のように、庄田を別世界へといざなっていく。シャッター、ドア、地下鉄ターミナルの地下通路、細長い通路などが、別世界への入り口、あるいは、時間が交錯するインターフェイスとして、繰り返し使われている。アユの後を追って、地下鉄の駅の地下道への階段を降りて行った庄田は、先日研究所内で見かけた女テロリスト、キヨコに遭遇し、彼女の後を尾ける。彼女がある建物の扉の奥へ消えると、入れ替わりに、その扉からは庄田の1952年の革命の同志たちが出てくるのであった。その時、庄田の後ろのシャッターが音を立てて上がり、庄田を光の中に包み、庄田の葬り去った過去の追体験が始まるのである。
庄田は1952年の夏、所属したグループのアジトにいた。それは、M大使を誘拐するというテロの決行の日であった。しかし土壇場になって、組織内部に入り込んだスパイが、この計画を外部へ漏らしていたことが判明するのである。テロは急遽中止となり、同志「温子」は武器の中継を阻止することで、襲撃班に中止を伝えようとする。その間、庄田とセイは「スパイを始末せよ」という「指令D」を遂行しに行く。セイは、「スパイはこの計画の立案者『アトウハクジ』」だと言って拳銃を構えるが、その時庄田はまたもや光に包まれ、一発の銃声だけが響くのであった(引き金を引いたのが誰かは映らない)。
光の中から1970年へ戻った庄田は、何を血迷ったか、未成年で拒食症のアユと関係を持つ。そしてその現場をテロ・グループにビデオに撮られ、彼らのテロに協力しろと脅迫されるのであった。彼らの計画は、庄田の研究所に訪れるJ大使を誘拐するという、17年前(1952年)に庄田たちが実行するはずだった「M大使誘拐計画」に酷似していた。そんな中、研究所に公安の刑事が現れ、庄田にテロを阻止するための協力を要請する。ひょっとすると、1952年のテロの際も、庄田は公安の刑事にアプローチされていたのかも知れない。「J大使のスケジュールの変更もできんそうだ。つまり、否応なしにゲームは大詰めを迎えるわけです」という台詞から、1952年の誘拐計画と同様に、1970年の誘拐計画も公安は把握しており、実行すれば組織は一網打尽にされてしまう運命であることが汲み取れる。その後、女テロリスト、キヨコと会った庄田は計画の中止を進めるが、キヨコは聞き入れない。これは、いつの時代でもテロの性質はまったく変わらないということを表現しているのだろうか。
舞台は1952年のアジトに戻り、庄田は仲間にスパイとして告発され、査問会議にかけられている。「指令D」完遂後、姿を消したセイとアトウについて、庄田は二人の逃亡を援助した、スパイの仲間だと責められているのである。そして議論の結果、庄田は反革命分子と認定され、組織から永久に追放することが決議される。
一方、1970年のカナコはアユの家へ訪れていた。アユは「毎日違う顔を付けて帰ってくるパパ」と母親の猟奇的な性愛の様子、そして母親がパパのうちの一人を殺し、逃げたことを語る。その話を聞いて、カナコは「ここは違うわ!」と震えおののく。このアユの独白が、カナコが封印した過去そのものである可能性もある。
庄田が1970年の自宅に戻ると、自宅には「セイに似た男」がいてウィスキーを飲んでいる。庄田は「思い出したくない事ばかりだ」と嘆くが、「現実の方でほっといてくれないのさ」とセイに似た男は言う。しかし「セイに似た男」は、自分がセイではないことを繰り返し強調する。庄田はまた1952年の記憶の中へと吸い込まれていく。
1952年、庄田が追放された後のアジトでは、今度は温子が槍玉に上げられていた。M大使誘拐計画を中止すべく出向いた温子だが、武器の中継を阻止できず、計画は遂行されてしまった。そのため、襲撃班の4人の同志を「犬死」させてしまった。同志たちは、温子がセイにそそのかされて、わざと計画中止を伝えなかったのではないか、温子もスパイの一味なのではないか、と疑っているのである。ここでメンバーたちがレイプを仄めかしている(喜重監督の批判対象である「不毛な男性的な権力構造」が表現されている)。その後、温子は謎の死を遂げる。
舞台は未来、1980年に移される。そこには少し年をとった庄田とカナコ、そしてアユと、1952年の同志たち、1970年のテロ・グループのメンバーたち全員が勢揃いしている。そして温子の死の謎をつまびらかにしようとする。
自分はセイではない、と言い張っていた男は、いつしかテロ・グループの一員となって、「僕は温子の死を、政治的な死として告発する」と、彼女の死が指令されたものだったと表明する。庄田の記憶では、地元のチンピラの犯行による強姦致死であったが、温子の記憶では同志たちと山中に潜伏している間の飢えと寒さによるものであった。「セイに似た男」は「違う、君は本当のことを言わなくてはならん」と戒めるが、真実は藪の中なのである。人それぞれの真実は、ここまで劇的に違っていると言うことだろうか。人それぞれの記憶は、それほどにまで曖昧なものだと言うことだろうか。
場面は1952年、大使誘拐計画に備えた模擬演習を行っているメンバーたちに、1970年のテロメンバーたちが加わり、舞台は再び1980年に移されて、マスコミに姿を変えたメンバーたちは、誘拐から救出された大使を囲みインタビューしている。これは、マスコミとゲリラは表裏一体という演出だろうか。一説には、学生運動に参加していた左翼系の人々が現在の日本のマスコミに多いというが、喜重監督はそれをも見越していたのだろうか。
気がつくとアユの姿がなく、カナコは慌ててアユを探すが、キヨコは「そんな子どもはいないわ。どこにも。それは、あなたの情念が作り出した影よ」と言い放つ。庄田とアユを盗み撮りしたはずのビデオにも、庄田が一人で写っているだけで、アユはどこにもいない。不信のカナコは、次第に「よく思い出せないわ。13の時に誘拐されたのは、私だったかも知れないわ。思い出せないわ」と言い出す。庄田は「つまりその子は君だったんだね。アユ、すなわち君だったのだ」と断言する。この部分を根拠に、私は「アユは、13歳のカナコ自身を人格化した想像の産物である」との仮説を立てたいのである。
その後、無作為な評決で庄田の死刑が確定し、即刻執行される。しかし、カナコはその直後、庄田がスパイとして情報提供をしている場面に出くわすのである。アユは彼こそが私のパパ、アトウハクジだと言う。つまり、庄田=アトウハクジなのである。時間軸が前後しているが、カナコが庄田の本性を知った瞬間を表現しているものだと思われる。
1980年の舞台へ戻り、マスコミへと姿を変えたテロ・グループのメンバーたちが、勲章を授与された庄田を囲んでインタビューしている。おそらく庄田の希望的観測を表現した叙勲であろう。皮肉にも、1952年に誘拐するはずだったM大使が、20年ぶりに駐日大使として戻り、庄田の功労を表彰したものであった。
1970年、地下鉄の地下道で、カナコとテロ・グループの男がすれ違い、二人は関係を持つ。
同じ時、庄田の自宅にはキヨコがいた。キヨコは武器を襲撃班に中継する役目だが、逡巡している。正午、1時、2時、3時、3時半と、時間だけが過ぎていく。そして、結局行かずじまいであった。その頃、キヨコの4人の同志たちは警察部隊に射殺されていた。1952年の誘拐計画とまったく同じ展開となったのであった。時代を経てもテロルの本質は変わらず、また不毛である、という喜重監督のメッセージだろうか。セイが射殺され(二発目の発砲は犯人が映らない)、庄田が光の中へと立ち去っていき、シャッターがゆっくりと閉まって行く。キヨコが「もうすっかり終わったのね、何もかも」とつぶやき、カナコは「私は私の神様であったものを打ちに行く」と謎の言葉を残して、映画は幕を閉じる。キヨコの神様は「ニヒリズム」であったが、果たしてカナコの神様は何だったのか。