「3-4X10月」について

この作品は「その男、凶暴につき 」(1989)で鮮烈な監督デビューを飾った北野武監督の、第二作目の監督作品である。前作では、芸人風情のにわか監督に対して、撮影スタッフや俳優たちによる妨害やサボタージュがあったそうだが、その反動か、本作ではキャストもたけし軍団でガッチリ固め、監督が自由に好き放題に撮ったという印象が強い。私の感想としては、前作よりも荒削りで完成度は低い気がするが、この作品を北野作品の中で最高傑作と賞するファンが意外と多いことに驚かされる。確かに「ソナチネ」(1991)や「HANA-BI」(1997)の系譜のルーツであることには間違いないが、柳憂怜を主役に据えるという監督の謎のセンスが、私の審美的感覚となかなか相容れず。

本作でも説明的描写はミニマムに省かれており、観客は次のカットで、ちゃんと監督の意図を汲み取らなくてはならない。おそらく北野ファンの多くは、そのように、観客の感受性に委ねてくれる余白が好きなタイプなのだろうが、そんな説明不足を苦痛に感じる人もいるだろう。監督と感性が違い過ぎれば、その意図など分からず、話の展開について行けなくなってしまう。

例えば、沖縄に行くのは憂怜だけかと思わせておきながら、次のシーンではもう海辺で憂怜とダンカンが佇んでいる。何かと気にかけてくれるダンカンは、結局憂怜を一人で行かせられなくて、同行してくれたのだ、と理解しなければならない。また、スナックで渡嘉敷に「その革ジャンは米軍のおさがりか」と問われる憂怜だが、その次のシーンでは渡嘉敷が着ていたジャケットを着せられている。つまり、無理やり交換させられたのだ、と理解しなければならない。

また、たけしがトヨエツの事務所に機関銃を持って向かう道中、フラッシュフォーワードのような、次に起こるべく展開のカットが次々と挿入される。これは、たけしに予知能力があって幻視を見たとの解釈するのではなく、自分の残された時間はまぁ、こんな風だろう、と最期を予感あるいは予想したイメージに過ぎないと考える。また、憂怜は空港で、蝶の卵の袋を開けようとした瞬間、たけしが撃たれるカットが挿し込まれ、衝撃で卵を落としてしまうのだが、これも憂怜が幻視した、という直接的な解釈より、「餞別の現金をくれると言うことは、きっと二人は殺される覚悟をしているのだ」と突如理解し、動揺して手元が狂った、くらいのニュアンスで捉えていいのではないか。

こういった時間軸を超えたカットを、サブリミナル効果のように挿入する編集手法は、以降の作品にも多用されていて、特に「TAKESHIS’」では炸裂している。しかし、炸裂しすぎたせいか、評論家でさえお手上げ、のような評価になってしまい、落胆した監督は観客に期待するのを止めたかのように、以後そういった手法はほとんど使わなくなってしまった。このように監督の初期作品には、説明的な描写及び台詞の省略、時間軸を無視した(フラッシュフォーワード的な)断片的なイメージの編集によって、タイトでミニマルであると同時に、圧倒的な中毒性と幻覚的作用を持つという、普通の分かりやすい映画では決して味わえない、詩情に満ちた魅力があった。初期作品だけが好き、というファンがいるのはまさにそのためである。(私もその一人である。)

故淀川長治氏が絶賛していたバード・オブ・パラダイスという花を使ったシーンについては、やはりこれを思いつくのは天才的だと言うしかない。青い空を背景に緑の葉と補色のオレンジの花は美しく、冠にして頭に被せるという発想も見事である。この映画のランクを底上げするほど、品格のある芸術的なシーンとなっている。あいにく他のシーンがそれと同等のバランスを保っていないことが、この映画の完成度が低いと思われる所以だろう。寺山修司の戯曲に、「血は立ったまま眠っている」という題名のものがあるのだが、私はこのタイトルも天才にしかない発想だと考えている。それと同じ次元で、北野監督のバード・オブ・パラダイスのシーンは秀逸である。

この映画も、「ソナチネ」(1993)や「菊次郎の夏」(1999)などと同様、男子が集まって、しょうもないことでキャッキャ遊んでいるイメージである。女子はそこにいるけれど、本当の意味では絶対仲間には入れてもらえない。たけし軍団という集団、草野球という集団のゲーム、ヤクザという集団。北野武という人はいつまでも心が少年で、いつまでも寂しがり屋で、いつまでも皆とつるんでいたいのだなぁ、と思わせるのである。

ちなみに、エンディングクレジットは、たけし軍団の芸名ではなく、本名でリストアップされていて、誰!?となるが、単なる軍団の戯れではないという監督なりの本気を見せた主張かも知れない。また、タイトルは野球の試合の点数表記で、Xの意味とは、サヨナラ勝ちでゲームセットとなること、だそうだ。例えば9回の表が終了した時点で、後攻チームが勝っている場合、9回の裏の攻撃をしないでも、勝ちが決まるので、そんな場合に表記するそう。

2008年刊行の著書「女たち」の中で監督は、本当はガソリンスタンドで憂怜が殴られ、そこから気絶して夢を見るという流れにしたかったのだ、と語っている。石田ゆり子とヤクザの事務所に突っ込むところまでは同じで、そこから二人は南の島に逃げて、海辺で寝そべっている憂怜の真上にゆり子が立って、ちょうど逆光で顔が見えなくて、気がついたら、自分を見下ろしているのは、ガソリンスタンドで自分を殴ったヤクザの顔、という展開を考えていたそう。この作品を監督自身は、自分の一番悪いところが出ちゃった、スタミナ切れの「失敗作」と呼んでいる。

さて、今回再びの鑑賞に際し、改めて面白いなと感じた点は、本作の結末が「TAKESHIS’」(2005)と同じ夢オチであることに加え、同じように、夢の中で台詞や現象が反復されていることである。しかし、「TAKESHIS’」のように懇切丁寧に、どの夢のイメージが、現実においてどの事象から派生しているか、という前提条件を描いていないので、根拠を探れない不満はある。

一説には、この作品を「TAKESHIS’」と同様にフラクタル構造になっているのではないか、と論議されている。それはとても興味深い視点であり、すなわち「3−4X10月」を「TAKESHIS’」の露払いのようなポジションに位置づけるものである。

TAKESHIS’」のような秩序だった確信犯的な反復ではないにしろ、「3−4X10月」でも、リピートされる台詞やアクションがいくつもある。本格的にブックエンドとなってリピートされるのは、冒頭とラストで憂怜がトイレから出てくる場面のみであり、そこで振り出しに戻ったのが確認されるが、その間もずっとデジャヴのような奇妙な反復が連続する。意図的に反復が描かれているのは確かだが、フラクタル構造とまでは言い切れず、伏線とその回収とも言えず、単なる「夢の中のデジャヴ」としか言いようがない。まぁ、概して夢とはそういうものかも知れないが。

ーーー

トイレ

  • 冒頭で、憂怜がトイレから出てきて試合に戻る。(気怠そうにトボトボと歩いて戻る。ジャケットの長すぎる袖から指先しか見えない)
  • ラストで、憂怜がトイレから出てきて試合に戻る。(颯爽と駆け足で戻っていく。ジャケットの袖は腕まくりしている)

素振りで「危ねぇな!

  • 一回目のCharmantとの試合で、らっきょが、ガダルカナル・タカとふせえりの目の前で素振りをし、「危ねぇな!」と叱られる。
  • 二回目のARTISとの試合でも、らっきょが、ガダルカナル・タカとふせえりの目の前で素振りをし、「危ねぇな!」と叱られる。

「振らなきゃ、始まらないよ」

  • 憂怜が一回目の試合で見送り三振をした後に、芦川が憂怜の素振りのフォームをチェックしながら、助言する台詞。
  • バイクの配達の帰りに喫茶店に寄り、芦川が憂怜に店員の女の子に声をかけてみるよう、焚付ける時に言う台詞。

代打

  • 憂怜、一回目の試合で見送り三振
  • 憂怜、二回目の試合でホームランを打つが、前を走るダンカンを追い抜いてしまい、失格。結局、二試合とも点数が入らない。

鼻血を出して、座り込む

  • 芦川がバイクを届けた無免許のDQNは、ヘルメットもいらないと意気がってバイクにまたがるが、すぐに赤い車に衝突。鼻血を出して、地面に座り込んで茫然自失。
  • バイクで二人乗りをしている憂怜とゆり子を、冷やかす男たちの車が、前に停車していた車に衝突。車の運転手は怒ってみせるが、逆に三人に殴られ、鼻血を出して縁石に座り込んで茫然自失。
  • 芦川の車、憂怜のバイクに次々と追い越されるダンカンの自転車。ダンカンが「追い抜くなよ、バカヤロウ」と叫ぶと、自分のことかと勘違いしたDQNがバイクを止め、絡んでくる。逆にダンカンに頭突きされ、鼻血を出して縁石に座り込んで茫然自失。

「追い抜くなよ」

  • 憂怜、二回目の試合でホームランを打つが、前を走るダンカンを追い抜いてしまい、失格。ダンカンは「なんで追い抜くんだよ」と文句を言う。
  • 自転車を漕ぐダンカンを、芦川の車、憂怜のバイクが次々と追い越していく。ダンカンは「追い抜くなよ、バカヤロウ」と叫ぶ。

「こんな店、潰すぞ」

  • ガソリンスタンドで、小沢仁志が仕事の遅い憂怜に腹を立て、「こんなスタンド潰すぞ」と脅す。
  • ガダルカナル・タカが少しも玉の出ないパチンコ屋で「こんな店、潰すぞ」とすごむ。

「人手、少ねぇんだからよ」

  • 憂怜が試合でアルバイトに遅れた時、先輩に言われる台詞。「デートにも行けねぇじゃねぇかよー。人手、少ねぇんだからよー。早く着替えてベンツ拭いてくれよ。」
  • 憂怜が沖縄から戻ってきた時、「人手、少ねぇんだからよー、明日からまた働いてくれよ。俺、何もできねぇじゃねーかよー。」

キャッチボール

  • 二回目の試合後、ふせえり、石田ゆり子、芦川誠でキャッチボールをして遊んでいる。
  • 沖縄の海辺で、たけし、憂怜、黒人の女の子、たけしの情婦でキャッチボールをして遊んでいる。

ビール瓶とパンチ

  • スナックで、たけしはビール瓶を掴み、組員の頭を殴る。渡嘉敷勝男がもう一人の組員をパンチする(一回目)
  • スナックで、たけしはビール瓶を掴み、組員の頭を殴る。渡嘉敷勝男がもう一人の組員をパンチする(二回目)

ビール瓶を掴む

  • キャバクラで、豊川悦司に「クズ」と言われ、ビール瓶を掴むも、他の組員に押さえ込まれる
  • 居酒屋で、渡嘉敷勝男に代わりに指を詰めることを断られ、ビール瓶を掴むも、情婦になだめられる(二回)

ーーー

ガソリンスタンドで因縁をつけてくるヤクザの小沢仁志、その幹部のベンガル、大友組の親分の井川比佐志、バイクに乗るDQNも、理想的な恋人を演じる石田ゆり子も、乱心のヤクザのビートたけしも、その舎弟の渡嘉敷勝男も、お土産の蝶の卵も、憂怜の日常のいつかどこかで、憂怜の意識下に潜り込んだ記号に由来するとする。

この作品の中で一番役得なのはダンカンだと私は考える。熱くなりやすいが、「さっきはゴメンな」と、きちんと反省を口にする器の大きさがあったり、なんだかんだと憂怜を気にかけて、「沖縄に行くのは止めておけ」と助言しながらも、なけなしの一万円をカンパしたり、結局は沖縄まで同行してしまったり。沖縄ではアロハシャツに短パンに着替え、憂怜よりも楽しんでいたり、東京に戻ってからヤクザに袋叩きにされた暁には、一人逃げた憂怜を恨んでもおかしくないのに、アイスキャンデーを差し出して、無言で仲直りをしてみたり。しかし、あくまでも憂怜の夢の中の出来事である。実際にはすごく嫌な奴で、憂怜が「ダンカンがこういう良い奴だったらいいのにな」と抱いている願望を投影した姿、とも言える。

北野監督と言えば「ヤクザ映画」というイメージが定着しているが、数ある中でも私にはこの「3−4X10月」のたけしが演じるヤクザこそ、最も頭がおかしくて恐ろしいと思っている。ただのヤクザ映画ではなく、草野球をするような普通の一般市民たちの物語から移行していくため、その異常性がシャープに対比されている点、また、女性に手を上げるなどの非情な行為が、妙に生々しくリアリズムに満ちている。ガダルカナル・タカも、店に来た失礼な客(大きなヴィトンのバッグを下げた、いかにもバブルな会社員たち)の一人、しかも女性を灰皿で殴ったりする。ポリティカル・コレクトネスのためか、他のヤクザ映画ではあまり描かれない、女性に対する暴力を目撃するのはトラウマティックでさえある。

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