日本映画に関心を抱いて以来、いわゆる名作、話題作、問題作、怪作、カルトと呼ばれるに至ったものまで、海外にて入手できる範囲であるが、まんべんなく鑑賞してきた。
日本映画と一口に言っても、言わずもがな十把一絡げにはできず、サイレントからトーキーに進化し、その後は戦前、戦後、60年代、70年代、80年代、90年代、現代にわたり、それぞれ全く違う当時の特徴、文化、映像的シグネチャーを色濃く残した数々のフェーズがある。
結局のところ、十人十色の感受性やテイストによって好き嫌いが分かれ、あくまで主観的で個人的な体験としてのみしか評価・評論できないのだが、それでもおこがましくも日本映画について語りたいと思うのは、日本映画にしかない精神、粋、艶、情、妙、幽玄、繊細などのエッセンスは独特かつ深遠であり、日本人によって過小評価されていることが残念でならないからに他ならない。
確かに洋画には予算的にも技術的にも興行的にも、はるかに及ばないし敵わない。しかし、西洋にコンプレックスを持ち、欧米にばかり憧憬のまなざしを向け、自己の文化を軽視してしまう傾向は、明治維新の日本において日本美術を滅亡から救ったフェノロサの貢献から考えても、根強くおよそ変わっていないように思われる。今でこそ日本が誇る文化遺産である浮世絵、襖絵、屏風絵、錦絵であるが、当時は二束三文の扱いを受け、今でこそ名高い尾形光琳をはじめ、狩野派、写楽、北斎、歌麿、伊藤若冲などはまったく忘れ去られていたという。日本各地の寺院や仏像も、フェノロサが国宝という概念を持って保護に立ち上がらなければ、日本のシンボル、アイデンティティーとも言えるこれらの文化財は消滅していたかも知れない。
他人に褒めてもらうまで自己評価が低く、日本映画を芸術品として保存し後世へ継承する、という考えなど及ばなかった日本人。黒澤明、小津安二郎、溝口健二、成瀬巳喜男、木下恵介、大島渚など、名だたる映画監督の作品群を、率先して復刻し、ソフト化して世界に発信したのは、やはり海外の映像ソフト制作販売会社であった。世界中のアート系映画や古典映画を専門とするクライテリオン・コレクションなどによって、日本映画は世界中にファンを獲得し、また国内での再評価へとつながっていく。
遅まきながら日本映画の醍醐味を分かり始めた今日この頃である。いくつか印象に残った作品、監督や銀幕のスターについてうんぬん申し上げたいと思う。