「戒厳令」について

吉田喜重監督の「戒厳令」(1973)は、「エロス+虐殺」(1968)と「煉獄エロイカ」(1969)と並んで「日本近代批判三部作」を構成する、政治的かつ思想的な作品である。脚本は、日本の不条理演劇・戯曲作家の第一人者である別役実氏が担当し、その抽象的なダイアローグは、観念的な喜重監督の映像美と実に相性が良い。そして史実と虚構を絶妙な比率であざなえていく、別役氏の巧妙なテクニックは驚異的である。脚本に喜重監督が絡んでいないせいか、他の喜重作品の中ではとても分かりやすく、追いやすいストーリーである。

「エロス+虐殺」が露光オーバーの白い画面であったのに対し、「戒厳令」では輝度アンダーの仄暗い映像であり、また「告白的女優論」(1971)を彷彿とさせる、間近に置かれた物体で、その向こうにいる登場人物を隠すような構図が多用されている。あえて贅沢を言うならば、2.26事件の夜明けの暗闇を、雪の東京を行進する千人の兵隊の映像があれば、文句のない完成度だったと思うが、何せ低予算映画なのだから仕方ない。

一柳慧による音楽は、初期のシンセサイザーを思わせるシンプルな音が、不気味な不協和音を奏で、また、音楽というより単なるサウンド・エフェクトに近い音響効果が、ところどころに挿入されている。北一輝が三井財閥へ乗り込む際の、鉄砲を連射するような音。憲兵司令部で岩佐と上司が北一輝の戒厳令は被虐主義だと話す場面での、兵隊たちの行進する足音。北一輝が被弾した西田税の見舞いに病院へ赴いた際の、微かな飛行機が頭上を通り過ぎるような効果音。その後に憲兵司令部にて岩佐が写真の説明をする場面での、バイクのエンジンをふかすような音。その他にも、タイプライターの音、セミの鳴き声、電車の音などが、不安を煽るように効果的に採用されている。

本作は、1921年に起きた朝日平吾による安田財閥当主刺殺事件から、1932年の5.15事件、1936年の2.26事件までの、15年間に渡る北一輝の革命家としての鉄面皮と、人間としての脆弱さをを描いた、セミフィクションである。北一輝と言えば、「最右翼」や「日本ファシズムの教祖」のような呼ばれ方をしているが、彼が打ち出した理論はそんなに簡単には表現できるものではないかも知れない。関連書を読むほどに、右翼なのか左翼なのか、ますます分からなくなってくる

ファシズムと言えば、社会の階級を前提とした政治体制で、高度な教養と知性を持った少数のエリート達が、大多数の愚鈍な民衆を支配するシステムであり、軍事警察力によって、国民の自由と権利を抑圧するものである。また、ナショナリズムを煽動し、民族的優位を主張することで、集団心理を操作して国民を結束させる、戦前の大日本帝国やナチスドイツである。

しかし北一輝の著した「日本改造法案大綱」によれば、彼の目指した社会体制とは、戦後、連合軍が日本に適用した、現在のシステムに酷似したものようだ。言論の自由(当時は言論・思想が弾圧されていた)はもちろん、華族制度の廃止、貴族院の廃止、軍閥・財閥・党閥を政治局から追放、財閥解体、農地改革(土地の分配)、労働者の権利確保、私有財産の制限(一家につき、現在の価値で30億円まで)と累進課税の強化(利潤の分配)、普通選挙制(男子のみ)、全児童普通教育、貧民や障害者などの援助(福祉)、そして、「天皇の国民」から「国民の天皇(国民の総代表)」への移行などである。

本作でも描かれていた通り、北一輝は明治天皇に対して異常な崇拝心・尊皇思想を持っており、「日本改造法案大綱」では天皇大権を発動し、全国に戒厳令を布き、憲法を3年間停止させた中で、国家を改造・革新していくという算段であった。つまり、その方法論においては「ファッショ」であり、天皇を頂点に置く点においては「天皇制ファシズム」とも言えるかも知れないが、天皇という君主の下に平等な社会を目指している点において、ヨーロッパのファシズムとは一線を画しているのではないか。

つまり、天皇を基準に考えると、北一輝は「右」であり、社会経済を基準に考えると、北一輝は「左」なのだろう。

本作では「戒厳令」について、いくつか興味深いステートメントが出てくる。北一輝は西田税に対し、「その行為をより厳粛なものにするために、この場所を危険でいっぱいにしようとしたんだ。それが戒厳令さ」と言い、また息子の大輝に対し、「戒厳令の下ではどんなにつまらない行いや間違いですらも、厳粛さのうちに取り込まれる。(略)戒厳令は人々に秩序を与えるのではない。ただ人々の無秩序の中にある秩序を見出すのだ」と語る。憲兵司令部の岩佐の上司は、「(北の言う戒厳令は)被虐主義だね、マゾヒズムだ」と言い、「戒厳令下は、常に危険に満ち満ちていなければならない」と言う。

戒厳令は被虐主義」というステートメントについては、三島由紀夫の「サディズムは好奇心、マゾヒズムは度胸」という言葉を連想させる。緊急事態や非常事態に身をおくことで、アドレナリンやドーパミンが分泌され、気分が高揚するメカニズムが作動し、ギリギリの緊迫感、ヒリヒリした不安感、ストレス、プレッシャー、孤独、葛藤などが、快感へと昇華される自己破壊的衝動、自己犠牲と自己顕示欲的なナルシシズムのことを指すのだろうか。

しかし、本作の中で描かれる北一輝は、自分が生み出した思想・理論が彼の手を離れ、若き青年将校たちによっていざ実現されようとする時、臆病風に吹かれてしまう度胸のなさである。実行部隊とは無関係でありたいと、自分の編み出したイデオロギーに責任を持ちたくないと、神のように、天皇のように、ただ君臨して見届けたいと、実に往生際の悪い意気地なしである。北一輝が息子と散歩をしながら戒厳令について話すシーンで、北は「革命家というのは、革命を行う者のことではなく、むしろ革命に耐えられる人間のことなのだ」と諭すが、皮肉にも、実際に革命が起きた時、北はその圧力に耐えられず、潰されそうになってしまうのである。そして、故郷では何かに怯える度に誰かが自分を罰してくれた、などと妻に泣き言をいい、妻の前で自傷行為を繰り返したりする。その行為にも、もちろんマゾヒズムは潜むのかも知れない。

そんな不甲斐ない革命家の北一輝は、日がな一日法華経を読誦して過ごしているのだが、一体どのように生計を立てていたか、さすが別役実氏の脚本だけあって、ごく自然な流れの中で、北が財閥から「情報費」をせしめる様子が描かれている。冒頭で起こる安田財閥当主刺殺事件で、犯人の朝日平吾が着ていた着物は、被害者の返り血と、自決した本人の血で汚れているのだが、「思わぬことで手に入りまして」と三井財閥の当主へ持参し、「財閥を憎むものはここへ来て次第に増えて来ているようです」などと遠回しに脅迫するのである。そして「私は朝日平吾を知りません。(略)彼の方は私の改造法案を読み、彼なりにそれに心酔しておったようですが、それとこれとは別のことです」と、あたかも自分も迷惑しているかのような口ぶりで、財閥から多額のお金をせしめてしまうのである。なかなかの食わせ物である。

そして北は、「愚鈍ながら至誠の志を持った多くの人が今、鬱屈しております。そうした錯覚された正義もまた正義であることを、私こそは理解しなければならない」と語るのだが、その「愚鈍ながら至誠の志を持った多くの人」の一分子として、兵士Aとその妻A子が登場する。別役実氏の戯曲にはよくある手法だそうなのだが、この二人は最後まで名前を語ることはなく、不特定且つ相対的な人物像として描写されている。この夫婦は不器用で、要領も悪く、能率も悪く、まさに「愚鈍」に描かれており、見ていて心苦しくなるほどである。しかし二人の愛は深く純粋で、「至誠の心」も真正で、お国のために役立ちたい兵士Aは、5.15事件に加勢しようとして失敗するのだが、妻A子はそんなダメ夫を甲斐甲斐しく支えるのである。

兵士Aは、5.15テロ決行の連絡を待ちあぐね、軍曹の家へ向かい、そこで北一輝の「日本改造法案大綱」に触れることとなる。兵士Aが夜通し「日本改造法案大綱」を読み耽っていたか、戻ってきた軍曹と語り明かしたかは分からないが、翌朝、兵士Aは、まるで魔法か催眠術にかかったかのような顔つきで町に出ると、人々が立ち止まり空を見上げている。これは、北一輝が息子、大輝に「やがて人も気付くだろう。自分たちのうちにある秩序について。そしておそらく立ち止まって空を見上げ、そこに布告されている戒厳令を、自分たちの内なる秩序が作り上げたのだということを、確かめるために」と語った台詞と呼応しているのだと考える。つまり、兵士Aは「日本改造法案大綱」に描かれた社会が実現されようとする、戒厳令下の東京を夢見たのである。

5.15事件については北一輝が時期尚早だと判断し、元陸軍少尉である西田税を介して、陸軍将校たちの参加を止めたのであった。そのため、待てど暮らせど兵士Aには連絡がこなかったのである。しかし、兵士Aは強硬的に参加しようとする。そして失敗する。多摩発電所を爆破する任務を遂行するだけの度胸と勇気が、どうしても足りなかったのである。めそめそと泣く兵士Aを慰める妻A子であった。

5.15事件では、都内の変電所を爆破して東京中を停電させ、その混乱の中で戒厳令を布く計画であったが、陸軍将校たちが参加せず、海軍将校たちと愛郷塾生(アクティビスト橘孝三郎が設立した農業学校)のみで決行したため、軍事クーデターというよりは、首相(犬飼毅)暗殺テロというレベルで終わってしまったのである。映画では、5.15事件も北一輝の改造法案を動因としているが、実際は大川周明の改革案を実行せしめるものだったと言われている。

兵士Aは自らの失敗を報告するため、北一輝の家を訪れるが、北には「その計画に私は関係ない」と突き放されてしまう。その後、兵士Aは憲兵司令部に自首している。ここからはハッキリとは描かれていないのだが、おそらく兵士Aは、憲兵隊からも特にお咎めもなく、またスパイとして囲うにも及ばない人材として判断され、ただ部隊に戻されたのだろう。部隊には、駅で一人練習していたように、「私は千葉の伯父の家に行っておりました」と報告するよう、憲兵司令部に命じられたのかも知れない。

4年後、ちょうど2.26事件のその日に、兵士Aはまたもや北の前に現れる。5.15事件の失態のせいで、精神のバランスを崩すことになったのか、休暇を取ったまま部隊へ戻らず、脱走兵と成り果てていた。兵士Aは「私は東京憲兵隊のスパイです。私を処刑してください」と、酔った勢いで要求するが、北にも西田にも相手にされない。妻A子は「今朝、急に千葉の親戚のうちに行こうと言い出して、(略)でも、千葉に親戚なんていないんです」と言うのだが、これは兵士Aが、4年前に自分がついた嘘と現実が混濁してしまっているのである。

ラストで兵士Aは、憧れの対象であったはずの北一輝に対し、憎しみを抱き裏切るのである。2.26事件当日にたまたま北家にいて、電話の内容を聞き及んでしまった兵士Aは、北を処刑台へ送ることとなる重大な証言をするのだ。それは、自分に対する北の無関心に対する恨み、自分の存在があってもなくても同じような扱いへの怒りであった。別役実氏の真骨頂とも言える、不条理的展開である。

5.15事件では海軍将校らが、2.26事件では陸軍将校らが、腐敗した政治家の掃討、富を独占する財閥の粛清、疲弊した農村の救済を構想して立ち上がった。将校たちの動機と使命は崇高であったが、しかし、天皇が寵愛する老臣たちを虐殺したことは、大きな誤算であった。天皇の逆鱗に触れてしまったのである。5.15事件では、誰一人として処刑されなかったのに(禁固刑のみ)、2.26では関与した将校たちは全員処刑あるいは自決、民間人である北一輝と西田税も処刑されている。例えば、東京を停電させるだけ、議事堂エリアを占拠するだけなど、別の方法で戒厳令を布いていれば、天皇を説得する余地はあったのだろうか。憲兵司令部は、2.26事件を、陸軍内部の派閥抗争(統制派 vs. 皇道派)として片付け、北一輝をその首謀者として処刑した。

本作では、何かと傷痍軍人の白い着物姿がちらつくのだが、史実において、北一輝と傷痍軍人団体との関連性は不明である。北が三井財閥へ赴く道中で目撃する、傷痍軍人たちの諍い、リンチ。憲兵司令部が入手した、北を中央にして傷痍軍人たちが映る集合写真。盲目の傷痍軍人との禅問答のような会話。そして、ラストで北の処刑を見守る傷痍軍人たち。また、クーデターの失敗を知らされた時、北は「今、窓の外に傷痍軍人が二人立っていた。愛国団体を結集するから私に乗り出せと言うんだが、そんなことはできない。私は断る」と口走るが、それは絶望の淵に立たされ、理性を失った北の幻覚か。憲兵司令部では、岩佐の上司が、「戒厳令が被虐主義だとすれば、これが在郷軍人のイメージだ」と、前述の集合写真に写る、傷だらけの痛々しい傷痍軍人たちを指差すのである。戒厳令がマゾヒズムなら、戦争も政治も国家も個々の人生も、マゾヒズムなのではないか。

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